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沿革

出発 日本一の事業家になるという夢を胸に

創業当時の弁当配達車

 

1959(昭和34)年1月5日にオープンした富士フイルム現像工場の食堂「富士食堂」(東京都調布市)。
創業者である志太勤が、故郷の静岡から上京して初めて請け負った社員食堂が、シダックスの歴史の幕開けとなった。
その後、周辺の他事業所の社員食堂の受託。食堂を持たない事業所への弁当の製造・配送も開始。翌1960(昭和35)年5月11日、弁当工場の完成に合わせて、富士食品工業株式会社(現、シダックスフードサービス株式会社)を設立した。

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1962年:車両運行管理事業スタート
モータリゼーションの波と社会問題を受けて始まった新事業

現在シダックスグループで、車両運行管理事業、社会サービス事業を展開する大新東は、輸入車の販売・修理を行う新東自動車興業株式会社(現、大新東株式会社)として1962(昭和37)年2月に設立。
当時は、高度経済成長に伴うモータリゼーションのただ中で、運転の荒いドライバーが増え社会問題化していた。
そうした中、自家用車の運転代行という社会ニーズに応えつつ、世間に誇れる「運転サービス士」を育成したいという想いから、企業や官公庁・自治体が保有する自家用自動車の運行管理を一括して請け負う国内初の自家用自動車管理事業を開始して事業を拡大していく。

 
大新東初期の運転サービス士たち

大新東初期の運転サービス士たち

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1967年:フジ調理師専門学校を開校
給食業界の発展を期して人財を育てる

高度経済成長期を迎えた1960年代、企業は福利厚生を重視して社員食堂の設置を進めた。
これが追い風となり、富士食品工業株式会社の給食事業は急成長。1964(昭和39)年、社名をフジフード株式会社に改称し、セントラルキッチンも開設する。
しかし事業の拡大に伴い、慢性的な人手不足に。そこで、給食産業に必要な人財を自ら育てようと、1967(昭和42)年4月に「フジ調理師専門学校」を開校。
後に「志太学園調理師学校」に改称した同校は優秀な調理師を育て続けた。
2001(平成13)年3月の一時休校までに巣立った卒業生は2,000名を超える。

フジフード時代の本社1Fセントラルキッチン

フジフード時代の本社1Fセントラルキッチン

 
フジ調理師専門学校時代の授業風景

フジ調理師専門学校時代の授業風景

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1970年:「日本型カフェテリア方式」を開発
食堂にイノベーションをもたらす

当時の集団給食は1〜2種類の副菜をつくり置きして、料理が冷めても仕方がないという考え方が当たり前で、喫食者様の高い評価にはつながりにくいという課題を抱えていた。その突破口は意外な場所にあった。
東京・新宿に「思い出横丁」と呼ばれる飲食店街がある。さまざまな料理がカウンターに並び、注文に応じて素早く提供する──。
このスタイルを参考にして「日本型カフェテリア方式」を構想。同年6月、東京・小平市の武蔵野美術大学様の食堂で実験的に導入すると、定食に飽きていた学生から支持を得た。
この成功によりカフェテリア方式を本格導入し、飛躍的な成長の足がかりとする。

 
カフェテリア方式を導入した当時の武蔵野美術大学

カフェテリア方式を導入した
当時の武蔵野美術大学

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